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100Kmハイクを終えて

ベース四年黒沢

5月13日(土)
 朝5時起床。五時半出発。黄金町より品川、上野経由で本庄へ。上野を出た高崎線の電車は予定通り出発。途中赤羽ですでに仮装をしている多数の人間が乗車。その後、中学生なども多数乗車。中学生、戸惑う。
 無事時間通りに本庄到着。野武、倭と出会う。集合場所に向い、仲間たちと合流。RBの大沢君と出会う。大原に出会う。

 開会式スタート。開会の挨拶。本庄市長の挨拶。仮装大賞、ゼッケンネーム大賞の発表。早大本庄高校応援団による応援。

 そして…

ハッスル体操。元グリーメン、竹内ハッスル氏によるハッスル体操。
「肩を回して〜 ハッスル、ハッスル!」
「頭を回して〜 ハッスル、ハッスル、ハッスル!」
「腰を回して〜 ハッスル、ハッスル、ハッスル、ハッスル、ハッスル…」
彼はそのまま倒れた。

〜〜〜〜〜〜〜第一区 12km〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
本庄アピタから寄居町総合体育館までのコース。朝からの雨で体が温まらない。開始早々、レインコート購入。皆元気である。途中大沢君にあう。彼の足には下駄が…
13時に到着。13時25分出発。
〜〜〜〜〜〜〜第二区 23km〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ウォーミングアップにしてはちょっと長い一区を終え、まだまだみんなの表情は穏やか。ここで佐々木、野武、倭が先頭を無視して出発。そろそろみんなの足に異変が…ウェルサンピア埼玉おごせに18時に到着。夕食をとり、英気を養う。岩田の顔に覇気がない。野武はウザイほど軽やかな動き。
出発直前、町村が靴下にお茶をこぼす。替えの靴下をフロントで購入。このとき伝説のグリーメン、石原さんをみかける。学ラン・角帽の早稲田マンスタイルであった。彼は今年で30歳。
〜〜〜〜〜〜〜第三区 22km〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
およそ1時間の休息の後、18時54分出発。これからが難関、ナイトハイク。日が落ちきる前にできるだけ距離を稼ぎたい。順調に進むと、ドン、ドンという音。町のお祭りで花火を揚げている。仲間に聞くと、わざわざこの日に祭りをやって、僕たちのために花火を上げているとのこと。美しい。これほど美しい花火はそうはない。
進むにつれ市川が遅れ始める。ペースを落としつつ進み、なんとかその日のうちに仮眠所に到着。
〜〜〜〜〜〜〜第四区 10km〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
5月14日(日)
朝6時起床。熟睡はできない。寒い夜だった。すでにリタイアしたものもいた。空腹のまま入間市市民体育館から早稲田大学所沢キャンパスまで歩く。この10kmが生死の分かれ目。ここで昨日と同じペースで歩ければゴールはできるだろう。7時5分に出発し、8時31分到着。温かいお汁粉がなんとも言えずありがたい。一年で一番おいしいお汁粉。体は比較的軽い。遅めの朝食(パン2個)をとり、仮眠。9時55分に先頭集団で出発。このころ入れ違いで岩田・飯山到着。
〜〜〜〜〜〜〜第五区 23km〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
地獄の五区。おしゃべりな人もだまる直線地獄。その前にサイクリングコースを歩く。皆話さない。よい景色のサイクリングコースを過ぎれば、ここからが百ハイと言われる新青梅街道。ただただ直線。直線。直線。ペースが一気に落ち、早稲田大学高等学院に2時47分に到着。最終区を控え、やや長めの休憩。土橋がやや遅れて到着。話しかけてもうなずく力もないようだ。
〜〜〜〜〜〜〜第六区 13km〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
いよいよ最終区。閉会式は八時開始。満身創痍の体も、気力の充実がそれをカバーする。4時55分出発。みんな全力ダッシュである。テーピングが痛々しい。男も女もダッシュ。痛みは問題ではない。休まず駆けて、歩いて早稲田通りに入ると、思わず呟いた。帰ってきた、と。もう足は痛くない。6時58分、大隈講堂前に到着。八時前に多くの仲間がゴール。
〜〜〜〜〜〜〜閉会式 10号館〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
異様な雰囲気に包まれている。みな良い顔している。白井総長の遅刻のため、やや遅れてスタート。熱いものがこみ上げてきた。これで早大生になれた。早稲田魂に触れることができた。
参加者しか分からない。だから尊い。

愛すべきバカたちへ
お前ら最高だぜ


おっ、着いちゃった

セカンド四年野武

サークル関係者多数の前予想を裏切り、大隈講堂前に18時40分到着、
サークル参加者20数人中、3位でゴールすることができた。

「1日目でリタイアするんじゃないか?」
「いや、20キロもたないだろう」
と思ってた人、残念でしたな。

何でこんなに上手く歩けたのかを自己分析(久々に使ったな、この単語)してみると、以下の要因が考えられる。


@足裏対策が万全だった。
→前にも書いたように、高い金を払っただけあって、靴のクッション性が良く、五本指靴下プラス普通の靴下の二枚組履きも功を奏し、完走した時点でもマメや水ぶくれが一つも無かった。
改めて、「靴は良い物を買え」と考えさせられた。

Aペースメーカーがいた。
→自分と同じ速さで歩く人がいれば、安定したペースで歩けるし、こいつには負けないという気合いが入ります。
初日にペースメーカーになってくれたTuttiは、二日目に失速してしまったんですが…。

B早歩きだった。
→途中で100メートル毎にあった標識を元に、歩く速さを計算したら、時速6キロだった。
終始このペースは一定であったので、「後、〇〇分で到着する」という計算ができて、心理的に楽だったな〜。

C体重が軽かった。
→体重増によるひざの故障を起こしたスポーツ選手は数知れないでしょ、清原とか曙とかさ。
100ハイでも周りで膝を壊していた人が多かったように思う。
そんな中、私の膝は55.8キロしか支えなくていいので楽だったんじゃないの?

D歩幅が大きかった。
→「足が長い」と言わないのがポイント。
平均的な歩数の90パーセントくらいで歩ききったんじゃない?

E足のケアがしっかりしてた。
私の後に休憩所に到着していた人たちは、私の寝てるところしか見ていないと思いますが、その前に各休憩所ごとに一時間近くかけてストレッチをしていたんですよ。
おかげで、筋を痛めることも無く、今朝も快調!




多分最初で最後の100ハイだったと思うけど、よい記念になりましたわ。


「第44回本庄〜早稲田100キロハイク」

バリトン四年倭

この前の土日、早稲田大学三大行事のひとつ100キロハイクに参加してきました。
動機は4年だし一回くらい出てみようかなって感じでした。
昨年は出ようとしたのですが何か用事が入って日和ました。

前日
準備万端かどうかは別としてなかなか寝付けず、1時くらいに就寝。

5月13日(土)
5時起床の予定がちょっと寝坊して5時半起床。
慌てて準備をして出発。
西国分寺駅にて野武氏と出会う。
彼は荷物をパンフの記載どうり小さくしてきたが、途中の高崎線で
守っている人間はほとんどいないことに気づく。
高崎線はほぼ早稲田生で埋め尽くされていた。
早稲田ってすごいなって思った。
本庄駅にてバカ殿さんに出会う。
スイカの清算でひっかかる。
野武氏に置いていかれる。
ここで100ハイの始まりを感じた…

集合場所に着くとすごい格好の人がたくさんいた。
豚汁とおにぎりをいただき食す。
開会式で適度に笑い10時にスタートした。

○第1区12キロ難易度★☆☆☆☆
集団に巻き込まれるとのろのろするので前のほうへ出た。
バンテリンに出会う。
特に何事もなく歩いていった。
第一休憩所まで長いなーと思いながら歩いていった。

●第一休憩所寄居町立総合体育館
12時38分着
休んでいると体が冷えるとグリーメソに言われとっとと出発。
12時47分発

○第2区23キロ難易度★★★☆☆
荒川を越えたところで我々はフライングしていたことに気づく。
目の前の雑貨店でカップ麺を食しながら先頭集団が過ぎるのをまつ。
その後延々と歩きつづける。
途中ローソンで休憩した後TっちーとKずきに出会う。
その後休憩所まであとわずかの曲がり角を曲がりなかなかつかず
精神的にまいる。

●第二休憩所埼玉厚生年金休暇センター(ウェルサンピア埼玉おごせ)
17時15分着
弁当が出てうれしかった。
足にマメができていたのでパンフに従い処置。
出発のときバンテリンが何かを主張していた。
18時20分発

○第三区22キロ難易度★★★★★
噂のナイトハイク
外に出ると、もう夜が訪れていた。
街頭は少なく、雨の中歩く。
途中花火があがっていた。
サンクスにてでいごさんが膝を負傷し後方のI山達と行くから
先に行けといい別れる。
でいごさんの分まで歩かねばと暗い山道をひたすら歩く。
どんどん前の人たちを追い越す。
途中右足首に痛みを覚える。
追い越すたびに「お疲れ様です」というと結構元気になってきた。
そして街のあかりが見え始め入間に到着。
休憩所手前のファミマにて軽く食物を購入。

●第三休憩所入間市民体育館
23時05分着
軽く腹ごしらえを済ませ、マメの治療をして寝ようとする。
何人かリタイアの知らせを受ける。
M浦、T橋さんが残念ながら戦線離脱してしまったようだ…
とても寒くなかなか眠れず、足も痛かった。
そして就寝…

5月14日(日)
途中何度も目覚めたが最終的に6時にバケツを叩く音で起床。
足が痛い。
ウィダーを飲んで着替える。
外に出たらさかなさんに出会う、驚き。
7時00分発

○第4区10キロ難易度★★☆☆☆
所沢キャンパスまで歩き始める。
足が痛い、気を抜くとすぐスピードが落ちそうになる。
こんなにきつい朝の散歩は初めてだ。

●第四休憩所早稲田大学所沢キャンパス
8時30分着
先月歌いに来たところに歩いてくるとは思ってもいなかった。
入ってすぐのところでおしるこを配っていた、もちろん2杯食べた。
そしてパンを2つもらい体育館の中へ。
途中H川君が冷やかしに現れた。
図ったかのようになんともいいタイミングだった。
トイレの行列に引っかかり先頭集団と一緒にスタートできず。
10時15分発

○第5区23キロ難易度★★★★☆
ついにNけんと2人きりになってしまった。
適当にしゃべりつつ歩いていく。
途中橋を渡りつつ狭山湖を眺めた。
100ハイに参加してから一番良い眺めだった。
そんなこんなで東京都に入る。そして終わらないサイクリングロードの
UPDOWNで大きなダメージを受け膝がおかしくなる。
途中ローソンで休みまた歩き始めついに新青梅街道に入る。
延々とひたすらな道を歩きつづける。
途中次のコンビニで休憩しゆおと思ってから全然コンビニがなく
きつかった。
スピードはかなり落ちたがNけんはあわせて歩いてくれた。
良い後輩だ。
歩きつづければいつかはたどり着くわけで次の休憩所にたどりつく。

●第五休憩所早稲田大学高等学院
15時45分着
弁当を食べラストスパートに備えて体を休める、もう体はぼろぼろ。
17時00分発

○第6区13キロ難易度∞
スタートと同時にみんな走り出した。
とりあえず自分も走ってみた。
歩くよりは楽でスピードも速かった。
が、体力が尽きるのも早かった…
こがさんに出会い一緒に歩くことにした。
ひたすら歩く、そして段々暗くなっていく。
もはや足はぼろぼろで気力のみで歩いていた気がする。
ついに馬場に着く。
あとは早稲田通りを歩くのみ。
しかしなかなか着かない。
いつも何気なく歩いている坂があんなに急だったとは。
最後馬場下町の交差点に入り走ってみた。
右足首がぎしぎしいったがあまり気にしなかった。
そしてついに大隈講堂前に着いた。

●早稲田大学西早稲田キャンパス
19時40分着
着いてすぐバカ殿さん達と閉会式が行われる10号館へ向かった。
焦らされたあと閉会式が始まった。
感動のあまり熱いものが込み上げてきた。
4年目にしてやっと本当の早稲田大学生になれた気がした。
その後大隈講堂前でグリーメンと早稲田の栄光を歌った。
22時になり野武氏と一緒に帰宅。
駅までは植木さんらに肩を貸してもらった、完璧によろよろだったが
まぁ名誉の負傷ということで。

長い長い永遠ともいえるような道のりだったが歩いていたのは
一日にも満たない時間であった。
4年は1人もリタイアすることなく歩ききった。
一緒に歩ききった仲間達には本当に感謝。
これから大抵のことは諦めることなくできる気がする。

卒業前にこれより辛いことはきっとないはず(笑)
合計歩行時間約21時間31分

涙そうそう


バリトン三年 木村


 
100キロハイクが終わった…

1区(10km、本庄〜寄居)は割と余裕だった。
2区(23km、寄居〜越生)も、なんとか乗り切る。

が、3区(22km、ナイトハイク、越生〜入間)はヤバかった。ひとりぼっちで、懐中電灯が唯一のパートナー、精神的にも肉体的にもきつくなる。「もうだめだ…」と何度思ったかわからない。それでも、日高市内のコンビニでしっかり休んだこと、歩いてる途中で周りの参加者が「お疲れ様です」と声をかけてくれたことで、何とか辿り着く。
3時45分、2時間ほどの仮眠につく。

翌朝は6時起床、昂揚会の人が目覚ましにバケツをけたたましく鳴らしていた。前日左足裏にできたマメを治療する。

本当にヤバイのはここからだった。
4区(10km、入間〜所沢キャンパス)、いけると思っていた区間だが、前日の疲れが肉体に重くのしかかる。何度か休みながら、なんとか所キャンへ。所キャンでは校歌、応援歌が流れ、30分ほどリラックス。

そして運命の5区(23km、所キャン〜上石神井・早大学院)。前日の雨と打って変わって一時は夏の陽気にもなる。上着を全て脱ぎ、シャツ一枚に。狭山湖は絶景。
しかし、その絶景も忘れさせてしまうほど、ここまでの疲労と(マメをかばったことによる?)左足首の痛みが激しく自らの肉体を襲う。西武多摩湖線沿いの緑地にあるベンチで20分ほど仮眠。
新青梅街道に入ったのは18時頃(閉会式には間に合わないことが確定)。左足首の痛みと闘いながら、また何度か休みながらひたすら直線を歩く。
19時半頃、携帯に友人から電話。先輩方や後輩達がかわるがわる激励のメッセージをくれた。なんとしても完歩したいという思い(下手な意地?)から、父からの「適当に切り上げろ」という電話にも耳を貸さず、スピードを上げてひたすら歩いた。
しかし、練馬区内にさしかかり、上石神井のコンビニで休憩していたとき、一緒にいたスタッフの人から「学院が恐らく閉まっている。大隈講堂に着くのは2〜3時頃」と告げられ、その疲労困憊の肉体から、休憩なしでの完歩が絶望的となる。

・・・残り約15km、無念のリタイア。そのときは、応援してくれた先輩方、後輩・同期のみんなの期待を裏切ってしまったという思いが強かったが、友人からの「お疲れ様」というメールに感動。後で父にも、あの電話に耳を貸さなかったことを詫びた。

スタッフの人に車で上石神井駅(西武新宿線)まで送られ、そのまま高田馬場から電車で北浦和の自宅へ。

行く先々で出会ったコンビニの店員さん、スタッフの皆さん、そして先輩方、後輩・同期のみんな、そして両親に心から「ありがとう」と言いたい。

まさに「涙そうそう」な100ハイだった。