定演@ 定演A 定演B 定演C ボーカル おまけ

最後の定期演奏会


お蔵入りの予感

2006年度トップパトリ 飯山

 
 書き出しが一番悩む。大体、テーマは何でもいいという点からして、この記事の必要性を疑いたくなる。卒団を目前に控えた老体に「適当に書け」の仕打ちは酷い。テーマを探すところから始めて未だ見つからず。〆切は6時間後。ああ、どうしよう。寝たい。

 −1時間後−
 ようやく気が付いた。「何を書けば喜んでもらえるか」ではなくて、「とりあえず書けばいい」ということに。ああ、なんだそうだったのか。肩の荷がおりたよ。そうだよな。2006年度の最後の記事だし。

 昔は「何で俺、パトリをやっているんだろう。」と、思ったりしたもんだ。と言うのも、トップの同期は誰がパトリをやってもいいと思うほど練習に対して前向きだし、実際べらぼうに上手い。パトリが俺でなくても組織は機能しただろうし、俺がパトリであることがマイナス方向に作用したことだってあっただろう。大体サブが、俺のサブが、これがまた上手い。でもって孫も、俺の孫も。もうね、居場所ありませんよ、あたし。それを、嬉しい悲鳴とも言うけどさ。

 歴代に比べりゃ、俺は随分頼りないパトリだったけど、それでも「パトリは飯山がいい」って言ってくれた同期に感謝だな。ありがとうな。後輩にも言っておこう、ついでだから(笑)。口が悪すぎる俺だから面と向かっては言わんが、後輩諸君、今までありがとう。本音を言ってしまえば、君らが練習に顔を出してくれる度に、「良かった、今日も来てくれたか。」と胸を撫で下ろしたもんだ。逆に、君らが連絡もなしに遅刻欠席してくれるたびにハラハラして気が気でなかった。いわゆるパトリ病ですかね。やだやだ。

 ところで、何で100人もいるんだろうねワセグリって。改めて考えると異様だな(笑)。そんなに魅力のある活動か?合唱って。男だけだし。テニサーとか旅サーの方がよほど健全な大学生活を送れるんじゃないかな(笑)? 男声合唱の魅力なぁ…。パート対抗の球技大会ができること、友達100人できること、授業のレジュメが手に入りやすいこと・・・。
もういいや、書いてしまおう。「肉声であること」「呼吸をそろえること」これが合唱の魅力だと思う。アホ過ぎるとか大雑把過ぎるとか言われても、4年間やってきてそう思ったのだから仕方がない。笑われてもいいや。最後だし。



定演に向けて

セカンドパートリーダー 野武佑一郎


 ワセグリは決して「上手な」合唱団ではない。
 我々よりも洗練されたメロディやハーモニーを奏でられる合唱団は他にいくらでもあるだろう。

 しかしながら、音楽への情熱を「愚直に」表現することにおいて、我々は世界一の合唱団であると私は自負している。

そしてそのような演奏が、観客を魅了できることを信じている。

 あと数日で私にとって四度目の、そして最後の定期演奏会を迎える。
気の遠くなる時間を練習に費やし、目指す音楽のために言い争いや喧嘩を繰り返した。
ステージの緞帳が降りたとき、私は何を思うのだろうか。
今はまだ分からないが、きっと素晴らしいことだと予感している。

 世界一の演奏会にどうぞ皆さんお越しください。



音楽創りに携わり


バリトンパートリーダー 鈴木拓也


 観客の期待をいい意味で裏切り、そして半分は期待に応えることをする。そのようなスタイルが、ライブをする団体として持っておくべき感覚なのではないかと考えながら一年間を過ごした。観客のニーズにただ合わせた演奏をするでもなく、自分のやりたいことにひたすすむでもない、その両者が一致する「感性」というものを今日まで育んできた。「自分のやりたいことと、観客が求めるものが一致する」その時、ホールは感動の空間になる。

 たしかに賛否両論はあったのではあるが、表現することは自由であるということを伝えるには十分な一年だったと私は思う。99年目のワセグリが創った音楽を好きだといってくれる人がいれば、私はうれしい。

 私たちは表現者であり、ステージに立つうえでは、芸術家にならなくてはならないのだ。芸大を出たかどうかなど、ステージの上では関係ない。音楽に間違いはないのだから。


「私にとって定期演奏会とは」

トップ四年 石山 善之

       

 WEBマネージャーの鈴木君から、このお題で持ちまわり記事を書いてくれないかと話が来た際に、ふと中学生の頃にあまり褒められない事情により『私にとって睡眠とは』という題名で一筆書かされそうになった事を思い出した。今となっては良い思い出である。きっと将来の私にとっても、グリークラブでの四年間は特別な思い出になっているに違いない。なってくれていないと困る。

 さて、私にとって今回の定期演奏会は、一体どの様な意味を持つのだろうか。やはり卒団という事でグリーとの別れということが一番大きいのだろう。昨年まで送り出す側だったが、いよいよ送り出される側になった訳で、毎年四年生が居なくなった後の寂しさを感じなくて済むのは有難いことではある。今年の下級生諸氏もそういった感慨を覚えてくれるのか、少々気の早い未練がましさを感じていたりもする。残り定演までの短い間に、入団してからこのかた得てきたものを風呂敷に納めつつ、下級生に伝えるべきものはお裾分けして、サッパリと潔いお別れが出来れば良いのだけれど。



SINCE 1907

(c)早川 知宏


 ざっと男100人が肩を組んで、胸を張り、空を仰ぐ。飲み会後、高田馬場駅ロータリーの風景だ。歌うは、早稲田大学学生歌「早稲田の栄光」。毎年、定期演奏会でストームのラスト曲、つまり演奏会の最後の最後の曲であり、強い思い入れがある。一年ぶりの「栄光」を今年も歌いたい。

栄光はみどりの風に
花ひらく若き日の歌
重ね来し 歴史尊く
受け継ぎて輝く早稲田
早稲田 早稲田 我等の早稲田

 9月、グリーライフを満喫できる残り3ヶ月にしようと誓った。うまくはいかなかった。四年生、最終学年、最後の演奏会、神様、いろんな〆切・・・。目に見えぬ何かに押しつぶされそうだ。

 命を惜しむより、名を惜しめって戦陣訓が目に飛び込んできた。大袈裟だが、そのくらいの気合いが今の私には必要だ。ラスト一週間、今見える景色をしっかり目に焼き付ける。そして「知恵」を絞り、「情熱」を高める。それでもって、幾ばくかの「運」を手繰り寄せる。本番当日のステージにどんな景色が待っているのか楽しみだ。

きっと・・

 「ワセグリ100年の扉」が確かにそこにあるだろう。まず我々全員でノックをして、こっちから扉をひらく。きっとそこには「ワセグリ100年の夢」があるだろう。その夢は・・65名の後輩に託すことにする。







(c)Ksuke2006